
私には6才、2才の息子がいます。
今日(日付では昨日ですね)、長男の保育園の卒園式でした。
卒園という場面ですから、長男と自分の関係を少し書かせてください。
0才から保育園へ
長男は、0才10か月から保育園に通い、2才10か月で、今の保育園に転園しました(我が家引っ越しのため)。
1つ目の保育園の時は、私はサラリーマンで、朝7時頃に電車に乗っていたので、ほとんど保育園の送りはしていませんでした。迎えは、半分ぐらいは、担当していたかな。
保育園への送りを担当するように
今の保育園に移った頃、仕事では独立。
朝は自分でコントロールできるようになったので、「転園」を自分の変化のきっかけにして、朝、基本的には私が保育園へ送るようにしました。
正直、先生との絡みとか、けっこう苦手なんです。「指摘」をされたり、「注意」されたりすると、息子のことを、自分のことのように”同質化”して重たく感じてしまうところがあったので、ちょっと嫌でした。
ただ、それでも、長男は父である私が送ることをとても喜んでくれて、毎日の当たり前に感じてくれている様子で、私も、応えたい、という気持ちから、毎日、出張・体調不良・朝からの面談、以外の時は、送るようにしました。
毎日毎日別れ際泣いていた
3才のとき、4才のとき(年少クラス)まで、毎朝と言っていいぐらい、別れ際に泣いて。何がそんなに寂しいのか、悲しいのか。
でも先生に聞くと、5分10分ではケロっとしているそうなんですけど。
今思うと、これぐらいの年の子供の、象徴のような情緒なのかもしれません。なんでも新しい環境は苦手、安心の持てる両親とのやり取りが好き。
しかし、一歩そちらへ踏み出してみると、意外となんとかなることに気付く。
そんな繰り返しで、少しずつ、色んなことが出来るようになって。
親の知らない表情を持つように
最初の頃は、私の知らない顔は無いんじゃないか、と感じていました。
でも、年少か年中クラスになると、どんどん、驚くような表情や様子を知るようになって、「あ~、これが、親の手を離れていくってことなんだなぁ」と、嬉しく、寂しく、感じたのを覚えています。
年中クラスになると、ほぼ、確実に、朝泣かなくなりました。年少クラスから、男性(同年代)の担任になり、どうやら馬が合うようで、とても楽しんでいる様子でした。絡みが苦手だった私も、こちらの担任との会話は、とても好きでした。共感し合えるような気もして。
父や母が、長男の成長を感じられるのは、どうしても、日々の生活以上に、行事のとき、です。運動会、発表会、など。
こういう時に、普段見せない、緊張の、引き締まった表情を見せるようになって、「いっちょ前に緊張しちゃってるんだな」と微笑ましく感じるようになりました。年少クラスぐらいからかな。
年中の発表会では、主役をさせてもらって、一生懸命まっとうしている姿、今でも忘れません。
今日の卒園式では、「さよなら僕たちの保育園」という歌を、一生懸命歌っている姿を見て、あどけなかった小さい頃から、あっという間に、こんなに立派に育ってしまって、、、という寂しさと嬉しさから、男泣きしてしまいました。
追い付け・追い越せ
あと、今日、担任が長男の名前を呼ぶときに、「昆虫のことが特に詳しいこと」、「正義感が強く、曲がったことが嫌いなこと」などを添えてくれて、自分とそっくりだと感じました。
先ほど、”同質化”と書きましたが、長男にとっても、父である私にとっても、お互い、追い付け追い越せで、似たような価値観を持って、似たような趣味を持って、共に6年間、生きてきてるんだなぁ、とつくづく実感しました。
なりたいことを一緒に頑張るからね
私は、長男に、「将来、何になりたいの?」と時々聴きます。
今回の卒園式では、「プロ野球選手」と発表していました。(これは、2年周期ぐらいで、変わったりするので、その瞬間の目指すものを、父も母も、応援しています)
父である私は、そんな彼に、よく言うのは、
「目指したいものが分からない? なんでもいいんだよ。だって、あなたが、プロ野球選手を目指したかったら、そのためのサポートをやるし、レストランを開きたかったら、そのためのサポートをするし。あなたがやりたいことを、父としていつでも、支えて、応援してあげるから、どんなことでも一人じゃなくて、一緒に頑張れるんだよ」
ということです。そうすると、彼も安心して、
「じゃあ、プロ野球選手!」と、宣言してくれるんですよね。
前を歩いてほしい
4月から小学校です。父として、今まで「手を引いて歩いていた」のを、「後ろから付いていくから、前を歩いてみて」と言うように、心がけています。
父がいくから安心、父が言うから安全、という環境から、自分で選ぶ、自分で歩む、という環境へ、切り替わっていくし、切り替えていってほしい、と思っています。
そんな毎日が始まって、自動的に親子の距離が出来てしまう、という風になるんじゃなく、やっぱり、横並びから、後ろから付いていく、というだけで、それでも、いつでも、近くに感じていてくれたら、嬉しいな、と思っています。
後ろにいつも、付いていてくれるなら、僕は勇気を持てる、と感じてくれたなら。
卒園、おめでとう。
執筆:
田村恭佑
(人間関係メンター/弁理士/経営コンサルタント)